先月と比べると日中は天気が良く、朝晩はとても寒くなってきました。
これから少しずつ冬の季節に入り、山頂の景色も綺麗に見えるため、トレッキングなどにいいシーズンになります。また10月はネパール最大のお祭り「ダサイン」があったため、僕の通っている語学学校だけでなく、国全体がお休みでした。ネパール人はダサインの期間仕事をせず、都市部に住む多くの人々が農村部にある実家や、親戚の住む田舎の地域に帰ります。今月は学校も1ヶ月間の休みに入り、僕自身も農村部へダサイン祭の文化体験も行なってきました。
今回が三度目の訪問となるカブレ地域の、ロッシー村に約1週間滞在してきました。僕が滞在した村は、ネパールでも人口がとても多いと言われているタマンと呼ばれる民族が住む村です。言語もネパール語とは全く違うもので、独自の言語を持っています。滞在した期間の間、ダサイン祭の文化を体験し、また今までに調査してきた村の抱える問題、ニーズなどを踏まえて、今回は村人たちの家に訪問しアンケート調査を行いました。初めてのダサイン祭は、日本のお正月にとても雰囲気が似ていると感じました。親戚が集まり凧上げをしたり、お年玉をもらったりと日本のお正月文化と共通している部分も多かったです。また、普段は高くて買わないお肉も、ダサインのお祭りの時期はどこの家でも沢山お肉を買ってきて、お酒と一緒に食べるのも1つの文化だと知りました。乗ると縁起がいいと言われている大きな竹製のブランコ(ピン)も村にはいくつかあり、このお祭りの期間には必ず一度は皆乗らなければならないルールもありました。
この村が抱える問題は、道、水不足、電気不足など今までの滞在で沢山の苦労したお話を聞いてきました。車が通れる道がないため作った野菜が売れない、水を引っ張って来るのにお金がかかる、電気がほんの少ししか無いなど、簡単に解決できる問題ではありませんでした。今回は滞在していた地域にある全14件の家に住む村人に「現在村が抱える問題、ニーズ、村の変化でよかったこと」の3つに関する質問を訪問インタビュー形式でお話を聞いてきました。1番多かった意見は、やはり道、電気、水の問題でした。野菜、果物が取れても、車が通れる道が近くにないためお金を稼ぐことができないと言う意見がとても多かったです。また、同じ村でも上の方に住む人は水や電気を使うためにお金を払わないといけない人も多く、お金を払っても十分に水や電気が無いのも問題の1つでした。しかし、数ヶ月前にできた水車によって水電気を作る事が出来るようになった事はすごく助かっているという村人の意見も沢山ありました。
僕自身が感じた一番の問題は、この村が山と山の間に位置しており、マンガルタールとワルティングと呼ばれる2つの地域に挟まれているということです。この2つの地域のニーズはそれぞれ異なり、協力し合わないためいつまで経っても問題が解決しないと感じました。村の人々も協力し合えば、少しずつでも村をよくすることはできるはずだと言っていましたが、マンガルタールの村長はお金に執着しており、政府からの支援金などを横領しているのも問題のひとつですが、村に人々はその事を強く村長に言えていないのが現状です。
アンケート内で、1人の村人が「皆が協力すればどんな問題でも少しずつでも解決していくことは可能だ」と語っていました。問題解決に当たっての方法はいくつもあると思います。政府の支援を待つのも1つの方法であり、また自ら新しい方法を試し改善に繋げて行くのも1つだと感じました。僕が考える解決策は、お金の支援を日本側からするのではなく、現地の住民たちで村を良くしていくやり方が1番今後の村のためだと思いました。そのために、少しの知恵を日本側から与えられば将来的にもいい活動になるのでは無いかと考えています。自分たちの農場を使って自分たちの村を変えるチャンスを作る形は今後のネパールの発展にも必要になって来ると考えます。来月からも、より多くの村を良くできるように策を練り、行動に移して行きたいと思います。
カトマンズ市内から少し離れた場所にある、キルティプルと呼ばれる地域に脳性麻痺の子供たちの施設があり、今月は二度に渡って訪問してきました。子供達はこの施設で服の着替えや、トイレの仕方、そして身体のリハビリを行なっています。政府からの支援や、海外の団体からの支援はなく、保護者がお金を出し合ってこの施設は成り立っています。また、子供たちの母親が準備に施設で子供達の自立を支えており、スタッフ不足でもあります。
一度目の訪問では、現在のニーズを調査しました。スタッフ不足以外にも、車椅子がないことや、20人の子供達が施設に所属しているが車のスペース不足で全員は毎日施設に来ることができないという問題もありました。この施設には、一台の小さなバンがあり、そのバンで毎日子供達の送り迎えをしています。しかし、1台では遠くに住む人たちの所まではいけないとのことで、半数ほどの子供達しか施設には顔を出すことができていません。ネパールでは車を借りるのは高く、1ヶ月にバン一台を借りる際、4万円ほどかかります。
二度目の訪問では、JICAの障害者スポーツを専門としている方と知り合い、日本から車椅子を3台持って来てくださった方たちと訪問しました。日本から5台の車椅子をネパールに持ってこられ、その内の3台を脳性麻痺の子供達に寄付してくださいました。子供達もすごく喜んでいましたが、それ以上に保護者の体力的な負担が少なくなり、より子供達の自立に近づいたと語られました。
この施設の責任者であるプラクティリさん自身も、脳性麻痺を抱えていますが、自らネパールの福祉活動に力を入れて行きたいと考えており、ネパールだけでなくインドなどでも国を代表して現状を世界に発信しています。
今回の二度の訪問で、車椅子はネパール内で非常に必要とされていることがわかりました。特に子供用の車椅子はネパールには無く、1つあるだけで子供達の生活が変わることもわかりました。こういった車椅子不足の解決策として、車椅子を日本から持ってくる形を広めていきたいと考えています。これからは活動の一環として車椅子を必要としている施設調査、車椅子を持って来てくれる日本の団体探しも進めて行きたいと思います。
都市部から1時間ほど離れた場所にある、キリスト教の孤児院を訪問しました。この孤児院には6人の子供達が暮らしています。運営者であるベンジャミンさんは、子供の頃に親を亡くし、キリスト教の孤児院で育ちました。その後、市内で音楽、英語の教師を務めながら孤児院を開きました。2015年の地震の被害で家を亡くした人々のためにもいくつかの家をトタン、竹などで作り、現在もいくつかの家族と一緒に暮らしています。
今まで低カーストの人々は組織的な差別に苦しんでおり、キリスト教に改宗そこから逃れる道とされていました。今となっては、ネパールのキリスト教信者は増えて来ていますが、ベンジャミンさんが子供の頃は誰にもわかってもらえなかったが、キリスト教を信じて現在まで活動をされて来ました。
この孤児院は、ベンジャミンさんの収入だけで成り立っており、一切外部からの支援がありません。運営資金に困っているベンジャミンさんですが、そんな事も気にさせないほどいつも親切にしてくださいます。二度の訪問を行い、子供達との距離を縮め、1日の生活を一緒に過ごしました。現在の一番のニーズは食事だと語られました。家や子供達の学校はお金がそんなにかからないが、食事代は毎月すごくかかり、食事代を少しでも援助していただけたら暮らしが楽になるとのことでした。
ネパールの孤児院は2つの形に分かれていると感じました。1つはこのような、支援が一切なく、ギリギリの生活を送っている孤児院で、もう1つは継続的な支援やサポートが入っている孤児院です。いくつかの孤児院を見て来ましたが、やはり孤児院にとって1番重要なのは継続的な支援があることであり、このような支援がない孤児院を訪問するたびに、支援元を見つけたいと感じます。来月からも沢山の孤児院を周り、何か孤児院を前面的に支援を得られる様な仕組みを考え、作って行きたいと思います。
パタンの地域にあるShristi女性会と協賛し、パタンの地域の主に女性を対象に甲状腺を検査する血液検査を実施しました。女性会はこの活動を4年間にわたり、継続して年に一度行なっています。そして今回は、パタン地域のすべての女性を対象に甲状腺の血液検査を出来るだけ安く受けられるように提供しました。一般的な病院などで受けられる甲状腺の血液検査は、一回1500円ほどかかります。そのため、ネパールのお金のない地域に住む人たちは検査を受けることができず、病気が発症してからの治療がとても多いです。この企画に対して、女性会の知り合いである「BlueCross」と呼ばれる市内の病院が提携してくださり、一回800円で受けられるように血液検査の注射を用意してくださいました。その内女性会から2万円、サンタンの社会貢献活動部から2万円、そして病院から一万円の協力があり、当日は1人300ルピー(円)で甲状腺の血液検査を受けることができました。目標としていた100人も超え、たくさんの方々に感謝のお言葉をいただきました。そして後日出た診察レポートからは10人もの人々
が深刻な病気にかかっていることがわかりました。他にも数人の方が再検査だったとのことで、今回の血液検査は意味のあるものだったと改めて感じました。
パタンにあるスラムの地域にも声をかけ、当日は貧しい地域の人々を優先に注射を受けられるようにしましたが、当日はスラムからは人はほとんどきておらず、やはり100、200ルピー(円)でも彼らにとっては大きなお金だったため参加はありませんでした。
ネパールの抱える大きな医療問題の中で、ネパール人が主体になり継続して行なっている活動に協賛できたことを嬉しく思いますが、次はどれだけ貧しい人にも平等にチャンスを与えられるように、金銭面を見直して行きたいと思います。
今回、甲状腺の検査を行った場所は女性会が所有する建物で、この場所での子ども食堂の運営も現在計画中です。合計80人もの女性が所属しておるこの女性会は、パタンと呼ばれる地域で1番素晴らしい女性会としても表彰されました。今後とも、現地の人たちと協力して企画をしていくにあたって、女性会との協賛にも力を入れて行きたいと考えています。
11月にはダサインのお祭りに続き、光のお祭りティハールがあります。
このお祭りも約1週間にかけてネパール全体で祝われます。そして11月の中旬からは、通常の生活に戻り、学校も始まります。現在進行中の企画を含め、今後のネパールの発展に貢献できるような支援の形をどんどん探し、挑戦していきたいと思います。
ナマステ。社会貢献活動部、ネパール駐在員の木山です。 ネパール滞在4ヶ月目を終えました。ネパールでは雨季も終盤にさしかかっており、少しずつ天気が良くなってきました。10月からは乾季に入り、気温もどんどん下がっていくと言われています。 ビソバサ大学での授業は、文章構成についても学び始め、活用の応用編などの勉強も行なっています。会話練習の授業などもあり、相手が何を話しているのか少しずつ理解できるようになってきました。しかし、まだどうしても同じ単語を使いがちになっています。目標としている、支援先などでしっかりと現状を聞けるほどの言語能力を身につけられるようにも、今後とも言語習得に力を入れ、語彙力を増やしていきたいと思います。
9月中旬と下旬の二度にわたって、「Rising Lotus」と呼ばれる孤児院を訪問、調査してきました。都市部から少し離れたキルティプルという場所に孤児院があり、女の子が約30人いる孤児院です。3歳から15歳の子供達が暮らしており、田舎の農村部で親が居ない、食事や寝る場所がないなどといった子達がこの孤児院で暮らしています。この農村部は、チトワンのカンダール村と呼ばれる場所で、ネパールでも有名な貧困な地域です。責任者のHariさん自身も親が居なかった過去を持ち、8年前に自ら孤児院の運営を始めました。とても優秀な子供たちが多く、学校内での成績はトップで居るのが当たり前。ネパール全体の中でも上位の成績を取っています。数ヶ月前にアメリカの団体からの継続的な支援が止まり、現在は不特定の支援者からの支援のみでの運営しています。毎月の支払いの期間が来るたびに、お金や先のことを考えるととても心配だとHariさんが語っていました。 一度目の訪問では、Tijiと呼ばれる女性のお祭りの日だった事もあり、皆で踊りあって距離を縮めることが出来ました。しかし、毎日学校が終わってからも孤児院での自習勉強に専念する姿を見て少し堅苦しく感じました。
よって、二度目の訪問ではバスケットボールの指導を行いました。子供たちはこれまで教えてくれる人が居なかったためスポーツはあまりしなかったと言っていました。どこの孤児院でも同じことですが、新しい事を学べる場というものの重要さを感じました。このことから、孤児院では様々なジャンルの学びをニーズしていると考えました。 また、1つ疑問に思ったことは、なぜこの孤児院には女の子しかいないのか? ネパールの女の子は人身売買などの問題にも関わってしまう可能性も高いため、現在女の子が優先的に暮らせるような孤児院になっています。Hariさんは、運営資金が十分にあれば、村にいる男の子たちも出来る限り受け入れていきたいと次の目標も語ってくださいました。今回の二度の訪問では、子供たちやHariさんとの距離も少しずつ近づき、次は子供達がどのような環境で育って来たかなどの調査を実際に彼らの出身の村に行き調べていきたいと考えています。
子ども食堂を行うに当たって、今月は引き続きストリートチルドレンの調査、そしてスラム街の調査を行いました。 ストリートチルドレンの調査では、市街地タメルのストリートで物乞いなどを行っている子供達と交流を何度も行いました。少しずつ距離が縮まり、子供達の生活環境やニーズを調査できました。バスケットボールやサッカーを通して子供達を集め、交流会を開き、生活内容などを聞きました。初めは「学校には通っていない」、「親はいない」、「家はない」といっていた子供たちも全員ではありませんでしたが、いつも髪の毛を切っている場所に連れて行ってくれたり、通っている学校を紹介してくれたり、家に案内してくれたりと、少しずつ打ち解けてくれたと感じています。問題点としては、親が居ても家などでシンナーをしており、居ないのと変わらない状況だと言うことです。そのため、毎日お腹を空かせ物乞いを行なっています。15歳くらいの年齢になるとシンナーも覚え、子供達に聞くとシンナーを吸うと空腹が紛れるとのことでした。 また、学校に通っていない子供たちはタメルでの生活で飲食を確保しています。本当に親がいない子供たちも多く、ホームレスの大人たちと繋がっており、コミュニティーができていることもわかりました。夜によく物乞いで集めたお金をストリートの子供たちが大人の人に渡している姿も見かけます。まだまだわからないことは多いですが、現在僕が考える彼らのニーズは、まず学校に通っていない子供たちには教育を受ける場の提供が大切だと感じました。そして、自分たちでお金を稼ぐ、または食べ物を確保できる手段を見つける事が現在のニーズです。シンナーなどに手をつける前に改善策を考えて行きたいと思います。
スラム街の調査は、子ども食堂で使う会場の近くにあるスラム街二ヶ所を訪問し、現地の環境について話を聞きました。 1軒目は、小さなトタンとレンガの建物の中に100人以上もの人が暮らしている場所に行きました。周りには大量のゴミもあり、プラスチックのゴミなどを集めて収入を得ています。市街地タメルで物乞いを行なっていた子供の一人もこのスラムに住んでいました。スラムの代表者の方からは、子供たちがご飯をしっかりと食べれられる環境の孤児院に連れて行って欲しいと何度もお話しされました。現在、スラムの子供たちは地元の公立学校には通ってますが、やはり安定した食事はこのスラムのニーズの一つだと感じました。
2軒目は大規模なスラム街で、沢山のトタンの家が川沿いの道に並んでいました。このスラム街には150人以上の人が住んでおり、住民の7割がタマン民族、3分の2がキリスト教でした。スラム街には小さな教会もあり、毎週土曜日にスラムに住むキリスト教の住民が集まります。ここには二度訪問し、詳しい話を聞かせていただきました。通販でカバンを売っている人や、タクシードライバーなど職がある人も多く、家賃を払わなくていい分、生活は普通に過ごせている事がわかりました。教会のサポートもあり、子供たちは週に一度勉強を教えてもらえる環境があり、病院などに行かなければならない際は、教会からお金を出してもらえる援助もありました。最近よく耳にするのは、政府からスラムの人達が住んでいる場所を空けるようにと言われている場所が多いということです。空けれない理由はもちろん家賃が高いのが原因ですが、今住んでいる場所を自分の土地にしたいと考えて動かない住民も多いと聞きました。このような話も含め、数回の訪問では深く知るのは難しいため、今後も距離を縮めながら調査を行いたいと考えています。
10月からはダサインと呼ばれる15日間の国内最大の休日がやってきます。ダサインは民族や宗教によっても異なりますが、様々な儀式やお祝いが行われます。この期間は市内の人々もお店を閉め、村にある実家などに帰る習慣があります。またダサインが終わるとティハールと呼ばれるお祭りもあるため、ネパールの人々は約1ヶ月の休みがあります。ダサイン、ティハールの間の1ヶ月間は学校も休みのため、村の地域のフィールド調査や、企画の準備を行う予定です。学校も休みが明けると語学のレベルが一気に上がると聞きました。来月は沢山自習復習し、そして11月にスムーズに企画を進められる様にミーティング、準備を行なっていきたいと思います!
ナマステ。社会貢献活動部、ネパール駐在員の木山です。 ネパール滞在3ヶ月目を終え、学校の授業も本格的に進んでいます。現在ではネパール人との会話が少しずつ出来るようになってきました。まだまだ、支援先などの調査で深いバックグラウンドなどを知るほどの語彙力はないので、いち早くしっかりとした会話が出来るように言語の習得に励みたいと思います。
8月上旬には、インドまで約10kmに位置するBirgunjと呼ばれる街を訪問して来ました。この地域にはダリットと呼ばれる不可触民の人たちが暮らしており、アウトカーストとされて差別を受けています。ネパールでは、彼らと話してはいけない、触れてはいけないなど、過激な差別を受けており、法律による差別の取り締まりで少しは現状が変わって来ていますが、ネパール内ではまだまだ大きな問題の1つとなっています。この地域にある、Ram Janaki小学校に訪問してきました。学校には、約160人の生徒が在学しており、5人の教師がいます。AFN(Asia Friendship Network)という団体が2010年に建設した小学校で、学校内に設備が整っていないということで、今回の訪問することになりました。 活動内容としては、京都外国語大学の学生団体「ナマステな会」から預かった募金で、小学校が必要としている学校の勉強机やカーペットなどを寄付しました。 学生団体から預かった15万円で、沢山の学校内の設備を揃えることができましたが、まだまだ備品など足りていないのが現状でした。今後とも支援金が集まれば、学校に設備が整うまで関わっていきたいと感じました。 また、ネパールでの滞在を通して、カースト制度はよく耳にする問題です。この制度を変えることは難しいですが、しっかりと問題を理解できる様に勉強もしていきます。
今月から少しずつストリートチルドレンの調査を始めました。ネパールの都市部では、どこに行ってもストリートチルドレンが道端で物乞いを行い、お金を集めています。この子供達を対象に週1回でも継続して、ご飯を提供できる子ども食堂の様な場を作りたいと企画を練っています。貧困家庭や、孤食の子供達にご飯を提供することで、孤食問題の解決、そしてストリートチルドレンの本当のニーズも知る事が可能だと考えます。もし、教育を受ける場が必要であれば、この活動前後の時間を学習支援の時間に当てることも可能だと思います。 市内のパタンと呼ばれる地域の女性会が所有する建物を、子ども食堂の運営のために使ってもいいと許可もいただき、建物の視察も行いました。100人は入れる規模の建物で、無料でお借りすることができるとのことでした。また、この建物の近くにはスラム街が2つあります。来月からはスラム街の調査や、実際にストリートチルドレンとの交流も行なって行く予定です。
今月は柔道に関連している二件の孤児院の視察に行ってきました。 一件目は、CWCN(Child Watabaran Center Nepal)と呼ばれる大型の孤児院を訪問しました。この孤児院ではストリートで過ごしていた子供達が30人ほど集まっており、子供達は柔道も孤児院内で学んでいます。この孤児院にはとても大きな建物がいくつかあり、子供達が暮らす建物は男女別になっています。また、この孤児院のルールとして、1年から2年で孤児院を出て親元に戻るか、自立をしなければれりません。そのため、洗濯物や炊事も自分たちで全て行います。施設も整っており、大きな社会貢献団体が運営しているのがよくわかりました。孤児院だけでなく、学校や柔道場の運営も行っているとのことでした。
そして二件目は、先月訪問したPAMと呼ばれる孤児院に再度訪問してきました。この二件の孤児院では、65カ国以上もの国々を周り、世界中の孤児院でダンスを教えているエンターテイナーのこうすけさんと、ネパール在住のJICAのスタッフの方々が集まり、ダンスや日本文化のワークショップを行いました。ダンサーのこうすけさんを通してダンスのワークショップを行い、子供達の身体能力がどれほどあるのか、子供達はどれくらいダンスが好きなのか?を確認しました。 まず、この2つの孤児院の子供たちは一般的な子供の身体能力を超えており、バック転などを簡単に成し遂げます。そして、ネパール人はダンスが大好きなことで有名ですが、孤児院の子供達はダンスのワークショップに釘付けでした。柔道は主に男子が真剣に取り組んでおり、女子も頑張っていますが、こういったダンスのような男女問わずに楽しめるアクティビティも大事だと実感しました。 ダンスを取り入れることで、これから孤児院に入ってくる子供達のアイスブレイクにもなり、個性を生み出すいい手段だと思います。 どちらの孤児院の子供達はとても元気で、よく動く印象でしたが、孤児院の子供達はそれぞれ印象も違い、環境も違うということがわかりました。しかし、共通している所も多く、この共通点を探し、何か今後子供達のプラスになるような企画をして行けたらと考えています。今後とも沢山の孤児院の環境を視察して行く予定です。
月末には、New Sumnima English Schoolと呼ばれる小学校で京都外国語大学の学生支援団体「NEPALINK」が主催した日本祭のイベントを運営しました。主にこのイベントのマネージメントに携わらせていただき、学校との連携や、設備、材料の準備、当日の運営を行いました。 この学校には約250人もの学生が在学しており、今回のイベントの主旨としては、学生達を対象とした日本食、日本文化体験の場の提供をおこなうことでした。また子供達の親にもこのイベントに参加してもらい、家に帰っても日本食が作れるように料理方法のレクチャーも行いました。 当日の朝はあいにくの大雨で、スタート予定時間とは少しずれてしまいましたが、小学校の生徒と協力して会場を綺麗にし、何とか開催をすることができました。 日本食は、唐揚げ、おにぎり、ポテトサラダ、味噌汁を作り、参加者に提供しました。 また、日本のお菓子の提供、スーパーボールすくいも行い、子供達の行列ができていました。ステージではエンターテイナーのこうすけさんに来ていただきダンスパーフォーマンスを行なったり、習字のパフォーマンス、浴衣ショー、ネパールの歌の披露など、参加者も300人以上集まり大盛り上がりでした。 こういったネパールと関わる学生達と今後とも繋がっていき、何か企画を行いたいと考えています。また今回300人以上の参加者を集めたイベントの運営に成功したため、次回イベントを運営する際の自信もつきました。
今月は工場視察のアポは取れているにも関わらず、途中で連絡が取れなくなるなど、ネパール人のルーズさが目立つ1ヶ月でした。来月からは、サンプルなども実際に作り、日本で販売できるような商品の参考になる試作品を作っていきたいと考えています。 また今月に引き続き、来月も市内にある孤児院を訪問して行く予定です。孤児院の規模の違いだけでなく、施設の設備や子供達の性格も孤児院によって違うことを改めて学びました。ネパールには1000件もの孤児院があるので、来月も訪問できる孤児院には足を運び、子供達の環境、現在必要としているニーズを調べて行けたらと思っています。またフィールド調査だけでなく、孤児院の子供達のプラスになるような企画も考えていきたいと思います。 今後の目標として、引き続きより多くのコネクションを作り、人脈を増やしていきたいと考えています。来月は現地の学生とも繋がっていき、商品開発や支援活動の企画などのアイデアを学生と一緒に考えていきたいと思います。
ナマステ。社会貢献活動部、ネパール駐在員の木山です。
7月に入り、ネパールは雨季の時期に突入しました。急に雨が降ったり、また晴れたりと毎日予測ができない天気が続いております。
今月からネパール市内にある「ビソバサ大学」と呼ばれる語学学校でのネパール語クラスが始まりました。毎週月曜日から金曜日の5日間、午前10時から12時までの2時間授業が行われます。まだ日常会話や、文字の書き方など基礎からのスタートですが、ネパール語の習得にも励んでおります。
工場の視察は、先月に小規模の工場を主に見学した為、今月は「Asterisk Int services Pvt Ltd」と呼ばれる大規模なフェルト工場の見学をしました。
この工場は2010年にできたネパールで数少ない大規模なフェルト工場で、社長のナラヤンさんは日本語を話すことができ、現地の大学で国際ビジネスについての講師もしています。商品はネパール国内では一切売っておらず、海外輸出のみ。現在、10カ国以上もの会社と取引を行なっており、従業員は工場で働く70人と、在宅従業員が200人ほどいるとのことでした。やはり、小さな工場と比べ、工場内のシステム、商品の質が違うことを実感しました。引き続き8月も大規模な工場の視察も行う予定です。
7月中旬には、都市部からバスと徒歩で7時間以上かかるマンガルタールとバルティングと呼ばれる地域に行って来ました。
この地域は山奥にあり、ネパールのタマン民族が住んでいます。タマン民族の知人であるミスラさんのお家に10日間ホームステイをさせていただきました。
外国人がこの地域に訪問、滞在というのは過去になかった為、とても新鮮かつローカルな環境で生活、ニーズ調査を行うことができました。また、この地域の人々はネパール語を話すのではなく、タマン語を話すということで、村人と会話ができるように滞在中はタマン語の勉強も行いました。
村の家を回り、現在のニーズの調査を行いました。まず沢山の村人が言っていたのは、男性は働かず昼からお酒を飲んで遊んでいる人が多いということでした。仕事から家事まで全て女性が行うのが当たり前と考えている人が多く、村にとって男の人は大事とされていてなにもしなくても怒られることもありません。お金に困った若い男の人達は、都市部や海外などに出稼ぎに行き、帰ってこないというケースが多いです。
そして、村が現在必要とする主なニーズは、電気、道でした。
この村には電気は通っておらず、今年から川の水を電気に変える機械が導入されました。これによって少しの電気は通るようになりましたが、川の水が少ない時や、雨で川の水が逆に多い時にはこの機械は動きません。
ホームステイ期間中も、毎日携帯の充電を行っても5%ほどしかできず、もちろん天候によっては電気のない日もあります。
去年までは村長が村人からお金を集め、電気の手配をしていました。しかし、所有する山の土地の所有書を村長に預けなくてはならず、村長さんがそれを担保に銀行からお金を借りてきて電気を流していたとのことでした。そんな中村長さんは全てのお金を電気のために使うのではなく、隠れて自分の生活費にも当てていました。それを村の人たちは知り、今年から自分たちで水を電気に変える機械を設置しました。
そして、「道」の問題。主に下山する際と、家で取れるミルクやお酒を売るために毎日使われる道があります。隣の村の人達もこの道を使って、草刈りに行き、水が足りない際に川の方に水を汲みに行きます。村から村への移動はこのとても細い道が一本あるだけです。とても急な場所にあり、一部崖にもなっています。この道は昔からあり、雨季には土砂崩れで道が壊れることがあります。その都度村長が村人からお金を集め、道の修復費用に当てます。前回集まった金額は約100万円とのことでした。
村長は、電気の件と同様このお金の全てを道の修復にあてると言いながら、道は毎回雑に作られ、半分以上のお金を自分の生活費に当てていたそうです。2年前には、草刈りの帰りにこの細い道からおばあさんが落ちて亡くなったという話もお聞きしました。
この事がきっかけで村の人達は選挙で別の人に村長を変えましたが、人が変わっても汚いやり方は変わらないとのことでした。
道を綺麗にして、町から車で来られるようにすれば野菜も売ることが可能になり、村の発展にも繋がると考えます。現在は国からの支援をもらうために申請中ですが、支援を受けられるかはわからないままで、新しい道を作るのに1000万円以上かかるそうです。
村のニーズである、電気の問題と道の問題が解決すれば、必ず発展して行くと考えられます。お金以外の問題として、村長の行動が大きな発展への妨げになっていますが、村の発展のために改善できるようにしたいと思いました。
今回、ローカルな村の調査を行い、村人達が外部団体の助けがなくとも、自分たちのお金で村をよくしようとしてきた環境を見て、他の村との違いを知りました。今後、村を調査する際にいい比較対象になると考えます。
7/27は ネパールの”Guru Purnimaa”と呼ばれる日は子供達が先生に対して感謝をする、という記念日で、Prisoner’s Asisitance Mission (PAM)という孤児院を訪問して来ました。
この孤児院では、親が逮捕されて行く場所がない子供達が暮らしています。この孤児院は、ネパールで柔道最強の孤児院です。3階級チャンピオンがいるうえに、オリンピック選手も輩出しております。現在ネパールでは柔道の人気は上がっており、2020年のオリンピックでネパールが一戦でも勝てれば、国内で柔道がより盛り上がるだろうと予想されています。
訪問した際には、先生として歓迎していただき、子供達と交流をしました。
本当にアクティブで元気な子供達で、柔道をしているのもあって、しっかりと人の話を静かに聞く姿勢を持ち、優しい気持ちを持っているのが伝わりました。
この孤児院の校長先生のスリヤさんが、子供達の親についてお話ししてくださいました。
「お父さんがお母さんを殺害して、お父さんは刑務所にいる子」
「お父さんにレイプされて孤児院が救助した子」
「刑務所からもう親は出てきているが連絡がなく、お金がないため引き取ってもらえない子」
今回はまだ一回目の訪問なので、なぜ子供達が真剣に柔道を取り組み、強くなりたいかはわかりません。しかし、子供達が柔道で強いのは育った環境も関係しているのかなと感じました。
今回は数時間の訪問でしたが、もっとこの孤児院の環境、子供達の事を知り、何かお手伝いができたらいいなと思いました。施設は他の孤児院と比べ整っていたので、お金だけの支援ではなく、子供達の心の支援が出来たらいいなと思います。8月はまだ訪問したことのない孤児院をたくさん周り、子供達の気持ちを知れるように深く調査したいと考えています。
7月はカトマンズ市内での支援活動の企画がいくつか上がりました。この企画を行えるように、8月はスラム地域の調査、引き続き孤児院の訪問を行なっていきます。ネパールの深くまで知れるように、子供達の気持ちや、現在のネパールの問題を調査していきます。また、調査内容の比較を通して、何かネパールの軸を変えられるような支援のための共通点を見つけられるよう尽力してまいります。
ナマステ。社会貢献活動部、ネパール駐在員の木山です。
5月30日にネパールの都市部カトマンズに到着しました。
ネパールに来てまず思ったのは、この国がとてつもないスピードで発展して行っているということです。僕が最後に訪れたのは2年前の夏でした。その頃と比べると、大地震の被害があった都市部の建物の再建、道路の整備が着々と進んでいました。遠方地域にも行けるようにバスが通れる道もたくさん出来ており、どんどん便利かつ綺麗になって行くのが見受けられます。
また、観光客も増えており、特に中国から訪れる人がとても多いです。現在新聞などでは、五年以内に中国とネパールを結ぶ列車ができるとも言われており、経済的にも発展して行くのが予想されます。
そして大きな問題の一つである水道水。飲んだり、この水で作られた料理を口にするとお腹を壊すという事例が多々あります。これも数年後には山から綺麗な水がカトマンズ市内全てに行き渡るように、現在地中にパイプを次々と埋めているのが伺えます。
滞在して1ヶ月が経ち、現地の生活習慣の流れを知り、慣れてくることができました。
現地のフィールド調査として3社の工場見学、3校の学校訪問を行いました。
労働環境の視察・向上を視点に、フェルト、刺繍、ドリームキャッチャーの3つの調査を行いました。どの工場も小規模なもので、主にネパール国内での商品販売がベースとなっていました。工場見学では、商品がどのようにできるのか説明を受けながら工程を確認しました。どの工場の社長さんも親切な方で、とても詳しく説明をしてくださいました。来月は海外に流通ルートを持つような工場を中心に見学できるようにしたいと考えています。
カトマンズ市内にある私立の小学校”Gems School”はネパールで3本の指に入るほど授業料が高いといわれています。とてもいい教育環境が整っており、授業は英語で開講され、生徒は学校内では全て英語で会話を行います。また校舎も日本の大学を連想させるような規模の大きさでした。
2校目は、2015年の震災の被害地の一つに当たる、カブレという地域のRoshi村に行ってきました。まだ復興支援が必要な学校があるとの事で、その視察を踏まえての訪問になりました。視察に行った学校は「Guatam Nath Basic School」と呼ばれる小学校で、この地域では一番大きな学校とのことでした。都市部から40km程離れた場所で、ジープで3時間ほどかかりました。生徒数は120人で、先生は7人います。震災後には、ドイツの支援団体が教室の設立、また現在は国が新しい校舎を設立しており、教室自体は足りているようでした。
この学校が必要としていた一番のニーズは図書館で、子ども達自身も図書館で本を読み、授業で学べない事も勉強したいとの事でした。図書館をこの学校に作る事によって、学生だけではなく、地域の人たちも利用できるので大きなニーズだと感じました。
そして3つ目の学校は、バスで都市部から3時間ほど離れたドゥリケルと呼ばれる地域に三日間滞在し、学校の調査を行いました。学校は「Shree Phanchakanya Lower Secondly School」と呼ばれる小学校で、幼稚園児から15歳までの子供達約120人が在学していました。8クラスあるこの学校には先生は5人しか勤務しておらず、これでも増えたとのことでした。
学校の校長先生とお話をさせていただき、現在学校では文房具や、机、椅子などのニーズがあり、支援がまだまだ必要だとお聞きました。地震後はユニセフ、現地のNPOやロータリークラブからの支援があり、図書館やコンピュータールームなどがありました。
学校側は今年支援してくれる団体が居ないからもっと学校を良くするために支援は必要だとの事でしたが、僕が他の村などを見てきた学校と比べると施設環境は充実しているもので、ほかにもっと支援を必要としている場所があるのではないかと思いました。
しかしこの学校の子供達の全般は貧しい環境で暮らしており、学校には午後しか通えない、数時間かけて歩いて帰った後には家事の手伝いをしなければならない、孤児院から通っている、そして家族が居なくて知り合いの家に居候しているという子供達が多くいるとの事でした。
今この地域で本当に必要としているのは学校への支援よりも子供達の環境を少しでもいい方向に変えてあげることではないのかと感じました。お金を通した支援は今回の滞在ではできない代わりに、子供達が遊べるように現地の方々の協力のもとで学校のグラウンドの芝を3日間かけて刈ってきました。こういったちょっとしたことでも子供達の健やかな成長においては必要なことなのではないかと思います。
6月全体の活動を踏まえて、ネパールは急速な発展をしていますが、その発展に経済的理由でついていけていない地域がたくさんあり、貧富の差がより顕著に拡がってしまっているのではないかと感じました。まだまだ都市部から近い地域の調査ばかりになってしまいましたが、それでも大きな問題は山積みになっています。この現状を少しでも改善できるように、来月からも自分の目でしっかりと現地のニーズを確認し、改善策を考えていきたいと思います。7月からは首都カトマンズでの新たな支援活動の企画をベースに動きます。語学学校の授業も始まりますので、ネパール語の習得も精一杯頑張っていきたいと思います。